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108件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-11-26 第203回国会 衆議院 憲法審査会 第3号

思えば、更にその二年前の平成二十八年九月二十六日に、当時は森英介審査会長のもとに、この憲法審査会におきまして憲法議論を始めましたけれども、当初は自由討論で、テーマは、ちょうど憲法発布七十年、そして、十一月でありますので、立憲主義違憲立法審査権、そして、三月には参政権の保障、緊急事態解散権あり方、四月には国と地方のあり方、五月には新しい人権、六月は第一章天皇についても、参考人を呼んで精力的に議論

中谷元

2007-05-14 第166回国会 参議院 行政監視委員会 第3号

今年は新憲法発布以来六十年目の節目に当たっておりますが、この六十年間の間、現憲法国際環境及び社会状況の変化に伴いまして、一部改憲論もある中で国民の中に定着して親しまれてきたことはもう皆さん御存じのとおりだと思います。私たち国会議員は、この憲法の精神に基づいて民意を国政に反映させるべく自由濶達政治活動を行ってまいった、私もそのようなつもりでおります。  

山内俊夫

2003-07-03 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第5号

大日本帝国憲法告文憲法発布勅語というのをごらんいただければ、これはプロイセンに学んだというふうにも言われておるわけでありますけれども、いかにも近代国家の諸原則と矛盾をする、王権あるいは神から授かった大権というふうな物の考え方が出ておるわけであります。  

仙谷由人

2003-05-29 第156回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

明治憲法制定過程を見てまいりますと、西欧近代国家に伍していくために、西欧の近代的な立憲主義思想を学ぶと同時に、これと我が国の国柄を調和させるという難しい課題に直面し、明治二十二年の明治憲法発布に至るまで、起草者たちがさまざまな苦悩をした姿に十分に思いをいたさなければなりません。こうした明治憲法起草者の姿勢を私どもは改めて認識しておく必要があると思います。  

葉梨信行

2003-02-13 第156回国会 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第1号

では一体、教育というのはどのように扱われていたのかといいますと、旧憲法の第九条に「天皇ハ法律執行スル為ニ又ハ公共安寧秩序保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スルニ必要ナル命令ヲ発シハ発セシムシ命令以テ法律変更スルコトヲ得ス」という規定を根拠にいたしまして、憲法発布翌年に小学校令を制定いたしまして、以来、太平洋戦争の終結まで、教育関係法令は、議会の立法権行使としての法律ではなく、天皇行政権行使

鳥居泰彦

2000-11-15 第150回国会 参議院 憲法調査会 第1号

平野貞夫君 私は小学校六年のときに現在の憲法が発布されて、そのころ「我らの日本」という憲法発布奉賛歌という歌がありまして、先生に教わりまして歌を覚えました。それから、憲法音頭という盆踊りもあったんですよ、そのときに。ですから、いろいろ憲法について我々も意見があるんですが、何だかんだといっても私らの世代は、私は六十五でもう介護の申請できるんですが、今の憲法で育っているんですよ。

平野貞夫

2000-04-19 第147回国会 衆議院 文教委員会 第12号

例えば明治憲法のときは、明治憲法ができたのは明治二十三年、このときに明治憲法発布とあわせて教育勅語というものがつくられているのです。要するに、対になって国民提案されているのです。終戦後に新しく憲法が生まれ変わりました。昭和二十二年のことですが、そのときも、憲法教育基本法は、ある意味で対になって、同じ年に国民にリリースされているわけなんですよ。

松沢成文

2000-03-31 第147回国会 衆議院 法務委員会 第9号

初当選をいたしまして、その次の六十二年の五月三日憲法記念日がちょうど憲法発布四十周年という節目を迎えますので、そのときに基本的人権にかかわりの深い法律扶助基本法ともいうべきものを何とか議員提案したい、このような思いで、半年ほど準備をいたしまして、法律扶助基金法というものを起草いたしました。

冬柴鐵三

1999-11-10 第146回国会 衆議院 法務委員会 第3号

帝国憲法発布を契機にしてさらにさまざまな整備が行われて今日に至っておりますが、基本的に、明治維新以来と申しますか、明治にできた骨格以来、その骨格を維持されたまま今日に至っておるわけであります。戦後の、敗戦に伴う占領、それによってアメリカ的な司法制度考え方がかなり入りまして、刑訴法の改正等が行われておるわけでありますけれども、基本的には変わっていないと認識しております。  

杉浦正健

1998-03-20 第142回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

また、六十二年、今から十年ほど前になりますが、五月三日、すなわち憲法発布四十周年を記念してできれば議員立法をいたしたい、このように思いまして、法律扶助基金法案法制局とともに約半年間かけまして完成させ、これを公表したこともございます。残念ながら国会上程には至りませんでしたけれども、そのようなことをいたしました。  

冬柴鐵三

1997-01-30 第140回国会 参議院 予算委員会 第2号

そして、議員は今たまたま復帰のところから話し、あるいは憲法発布のところから始められましたが、第二次世界大戦中に当時の日本軍によって強制的に土地が収用され、日本軍としての陣地がつくられ、あるいは基地がつくられたときからの記録というものを改めて私なりに調べてみました。そして、その思いを余りに我々は受けとめるに鈍であった、鈍かった。読み終え、調べ終えたときの私の感じはまさにそういうものでありました。  

橋本龍太郎

1996-06-10 第136回国会 参議院 本会議 第25号

総理大蔵大臣主権在民憲法発布五十年という年に、国民の八割、九割が反対していることをあなた方自身も認めている住専処理策を強行することは、まさしく主権在民の否定ではありませんか。主権者の意思に沿ってこの際きっぱり廃案にすべきであることを強調して、私の質問を終わります。(拍手)    〔国務大臣橋本龍太郎君登壇、拍手

吉岡吉典

1995-04-11 第132回国会 衆議院 法務委員会 第6号

冬柴委員 先ほどちょっと述べましたけれども政府が新憲法発布に呼応して、二十二年、刑法一部改正法において尊属殺人規定提案をしなかった理由というもの、それから今約五十年を経て提案をされるに至ったいきさつとか、その間の国民思想の動きとか、そういうものを若干お尋ねしていきたいと思うわけでございます。  

冬柴鐵三

1994-05-23 第129回国会 衆議院 予算委員会 第7号

そのうちの二十三年は憲法発布の翌年でございますからこれは無理もないことで、あとの二回は選挙等が行われて再び予算提出した、つまり再提出をしたときでございます。今度のようにいわゆる政治的な駆け引きであるとか、あるいは政府側のスキャンダルを中心にした、そういう状況から予算がおくれて今日に至るような状況というのは、戦後かつて一度もないと言わざるを得ないのでございます。  

深谷隆司

1993-06-02 第126回国会 衆議院 法務委員会 第11号

しかしながら、これはプログラムとしてあっただけで、法制度として具体化されたのは、憲法発布より実に数十年も後のアキノ大統領時代大統領令第一号というものによるザ・シチズンズ・リーガル・アシスタンス・オフィス、これはCLAO(クラオ)というふうに愛称されておりましたが、このCLAOという組織で政府直轄で行われるようになったようでございます。

冬柴鐵三

1993-04-27 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第12号

三木武夫さんの近い方から聞いたんですけれども、絶対にもう連立内閣なんか、ひどい目に遭った、ああいうものは絶対組むべきじゃない、こういうふうに言っておられたということを漏れ聞いたことがあるわけでございますけれども、そういった中で、まさに社会党の初代の委員長として内閣総理大臣になられた方でして、そういった、まさに今さっきから加藤議員がまあ政権を目指してやりたいという話がありましたけれども、もう一番最初に新憲法発布

自見庄三郎

1991-03-08 第120回国会 衆議院 予算委員会 第21号

二日、三日――三日が憲法発布それから五日がこどもの日、あそこずっと一週間、この五月一日さえ祝日にすれば一週間そこで休めるのですね。ですからそういうことを考えて五月一日を、イギリスあたりでは理由なき祝日というのがあるのですよね。だからそういうことで一日、これを祝日にやる、それも法律に一つ、祝日法を改正して一項挿入する、こういうことをやっていただきたいと思うのですがね、その点はどうでしょうか。

戸田菊雄